M-labo

- 荒れ地のおっさんの唄 -

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ブログを3年間続けましたが

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嘘でもなんでもなく、今日が私の誕生日です。
誕生日と言えば、今日でこのブログも4年目に入りました。

sakura1.jpg

歳を取るたびに世界が狭くなっていくような感覚に危機感を感じたのが始まりで、毎月どんな小さな事でも良いからなにか新しい事を始めると決めたのですが、ブログのもその一つです。そして自分にどのような変化が起こるのか実験してみようということで「Labo」なのです。

文章を書くのは得意でないので、書くたびにいろいろ考えます。その内容について意識することで、自分がこの先興味を持って深彫りしていく対象が浮き上がってきているように思います。

ブログはジャンル別に登録できるので、記事数を見返す事で何に興味を持ったのかがわかります。

実績を見ると圧倒的に海外の話が多いですね。この先も飽きずに続けていくのはまちがいありません。
次にリフォーム/DIYになるのですが、DIYに興味があったのは意外な発見です。
あとは建物ですね。これはブログを始めてから浮き上がってきたものなので、ブログの効果でしょう。

これを利用すると、私の前世は「世界を旅した大工?」とか妄想で遊べたりできます。

「子供の1年と大人になってからの1年では大人の方が早い気がする」という話は良く聞きますが、これは、子供の方が日々新しい事に出会い、刺激を受けるので一定の時間内での記憶の密度が高いからです。これに対して大人は刺激慣れしているので圧縮するとほとんどの出来事が消え去ってしまい、「え、もう一年たったの?早い」となるからです。

で、ですが、この3年間を振り返ってみた正直な感想は「え、まだ3年?です」10年くらい昔の事にように感じます。これはいつも年末に感じていた事ですが、1年長いです。1週間に1記事を書くので、なんでしょう、自然と週を意識します。「えーっと、今週は、、、」と考える癖がついた事で、(たいした出来事がなくても)何かやった気になっているのかもしれません。

これが、日単位で「今日って、なんか新しい事にチャレンジしたかな?」とか「成長できたかな」って意識できるようになればもっと良いんでしょうね。いつになるかわかりませんが。

実は、ブログの最初の記事は自分の正体をよく現していて、

4月1日からはじめます

ブログを始めるときに、既に終わることを考えていたのです。ネガティブに終わるのはいやだなあ(だから始めたくない)と。今言えるのは、ブログを終わる時は、先ほどの話の通りで、「ブログに頼らずとも日々を自然と意識できるようになった時なんだろうな」ということです。

ポジティブな終わり方を考えられるようになったということは、3年でちょっとは成長しているのでしょう。いや、そういうことにしてください。

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500円玉貯金箱がいっぱいになったので開けてみたら…

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もう記憶がはっきりしないのですが、この貯金箱は今の家に越してきた2000年頃からあります。

500-1.jpg

確か100均で売ってたもので、これの胴体にプラモデルの翼とジェットエンジンを付けた置物を作ろうと考えていたのですが、途中でその発想自体に飽きてしまい、銀色に塗っただけで放置されていたのでした。

そして、しばらく経ってこいつは貯金箱だった言う事を思い出し、最初は面白がって500円玉入れていましたが、しばらくしてブームも去り、一度再開してはすぐに飽きられ、たまに気づいては、また忘られるの繰り返し。

ですが最近になり、ついに満杯になりました。と、言う事であけてみることにします!

割ろうと思ったのですが、なんかもったいないので裏の取りだし口を拡大して出して引きずり出す。

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さて、いったいいくらあったかというと、

100円玉(ノーマル) X 19枚
500円玉(筑波エキスポ記念コイン) X 2枚
500円玉(ノーマル) X 288枚
1000円札(夏目漱石モデル) X 4枚

500-4.jpg

総額 150,900円

昔の自分から思わぬお小遣いもらったと考えると15万はうれしいですね。

☆☆☆

というのが、「貯金箱オープンネタ」の正しい姿だと思います。
ですが、本当の感想を言うと、実は書いたものと少し違っていて、

「限りなく微妙」でした。

この手の貯金法の黄金パターンは、

貯金開始。

すぐにいっぱいになる

ワクワクでオープン

開けたらXX万円入っていた

歓喜 !!

だと思います。

ですが、500円玉でのおつりってそうないですよ。今時スーパーだってカード使えるんでそもそも現金そんな使わないですし。
特に、私のように、「XX万貯めて新しいXX買うぞ!」とか目標立てずにダラダラやってたらものすごく時間がかかります。「500玉円貯金だと楽に貯められるからオススメ!」とか?ですよ。

「無理せず楽に痩せられる」なんてのが幻想であるのと同様に、実際に楽に短期間で貯めたという人はいないと思います。
見る側は「この人突然まとまった金が出てきてええな」かもしれませんが、お金を入れ続けた本人にしてみれば「ま、そんなもんでしょ」というのが本音のはずです。

相関

こんな感じじゃないでしょうか?

私の場合は、貯金箱がいっぱいになってもいくら貯まっているかわからないので、「いくら?」という好奇心がありましたが、「100万円貯まるBANK」とかもう、満杯にする達成感しかないですよね。だって出てくるのは間違いなく100万ですから。100万を短期間でなんて給料全部500円玉でもらってもどんだけかかるか。

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なので、「なんとなく貯まればいいなー」的な感じでやろうとしている人は、貯金なんかしてないで使いたいときに使った方が幸せになれると思いますよ。あと生前贈与とかバンバンやったらいいと思います。歳取ると物欲がなくなるという都市伝説?もありますし。

まあ、なんて夢のない貯金箱オープンなんでしょう。みなさんこれにめげず500円玉貯金やりましょう(棒)。

ロイ と ユタニ

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この人たちはいったい何をしているのだろう? 

カーレース場の観客席最上段。そこからの景色を眺めながらそう思った。

観客はまばらにしかいない。よく見えるよう少し体を前のめりにすると、錆びたフレームとプラスチックのベンチがギギィと音をたてる。

ああ、だめだ、よくわからない。

目の前で「995」とペイントされた青いMGが、白いビートルを追い抜いた直後にバランスを崩し、また白いビートルに追い越された。 それに続く車列が、小魚の群れのようにひと塊りになりながら青いMGの後に続き、爆音だけがそこに取り残される。

なんなんだこの大きい音は。しかし、これってなんだっけ? 車、、、だよね?

僕はよく混乱する。 思い出せないって言うか、ふわふわした感じになる時がある。 でもユタニは気にするなと言ってくれる。

彼は、私のことを知っている。 僕が自分の言う事に自信を持てないでいる時、ユタニが確かな答えを与えてくれる。 彼はそういう存在だ。 彼の手は世の中の事を知り尽くしている人のそれのように、表面の凹凸がはっきりして、乾いている。 私の手とはまるで違う。

「これってなんだっけ?」 思い切って聞いてみた。

私の質問を聞いたユタニは、私の方にちょっと顔を向けた後、丁寧に間を開けて
「レースだよ」 「車を競争させて、誰が一番速いかを決めるんだ。」

やはり車か。 これが車なんだ。

「でも、なんで速さを競うの?」 「そもそもどうして人が車を…」
と言いかけて、彼の眼の奥に潜む、深い愛情と同居するなにか寂しいものに気付いて言葉が途切れた。

彼は一呼吸を置いてから。
「ロイ、なにも不思議なことじゃない。だって車を運転するのは楽しいことだろう?」
「楽しい?」

「そう、車を運転することは楽しいじゃないか。自分の思い通りに動かせるから気分がいい。自分がそうしたいと思うことがそうなると人は歓びを感じる生き物なんだよ」。

そうなの?でも車って、、少し考えてみたけどぼんやりとしか思いが浮かばない。
「車の運転が楽しいって、、、僕にはわからないな」

白いビートルが脚元のピットに戻ってきた。 車が止まるとそろいのつなぎを着た人がばっと車に詰め寄り、給油を開始した。 恐ろしくシステマティックに人が動いている。

「ゲームは楽しいだろ?」 「ゲームをやっても世の中には何も生み出さない。でも人は熱狂する。その過程が楽しいから」 「車だって同じゃ。運転するプロセスそのものが楽しんじゃ」

ゲームってあれか、ああ、思い出した。 そうだ昨日やったゲームは楽しかった。 でもゲームと車って何の関係があるんだろう。 想像できない。

だめだ、また混乱してきた。

「気分はどうじゃ?」
「よくわからないけど、最悪ではないよ」
「そうか」
「俺はね、ここに来ると気分が落ち着くんだ」 「お前をここに連れて来れば何かを、、何かを思い出すんじゃと思ってね」
「…」

レースは結局白い白いビートルが逃げ切って幕を閉じた。 表彰台に上がった人たちはユタニと似たような風貌で、観客席にいた彼を含め多くの人は満足げに見えた。 

私は彼と並んで歩きながらゲートに向かった。途中で回転ブランコが見えて、人々は足を宙にまかせていた。ちょうど電飾が灯いた。

「お前には、、、想像もつかないだろうけど、俺が若かった頃、一日じゅう魚を追いかけるやつがいてな、」 「いつもそんなに釣れるもんじゃない」

「ある日そいつはな、その日の終わりになってやっと一匹の魚を釣り上げたんじゃ」 「それは銀色に輝くとても立派な魚だった」 

「ところがそいつはその魚に、「ありがとう」って声をかけた後、また放してしまったんじゃ」

「え…」「それはどういうこと?」

「そのうちわかる」
彼は悲しげな表情でそう答えた。

ゲートをくぐるとやわらかい夕日が二人を照らし、影が後ろに長く伸ていった。よくある早秋の1日のようだ。

急にユタニはよろけて足元にうずくまった。苦しそうな表情を見せて、何かを伝えようとしている。
「ロイ、、、大丈夫だから…」とかすかにつぶやいた後、地面に倒れて動きを失った。

なにがおこっているのだろう?よくわからない。 でも周りの人が騒いでいる。僕は何をすればいいの? 考えても考えても何も出てこない。やがてパニックになって吐き気がやってきた。

様子を見ていたゲートの係員がかけ寄ってきて、「大丈夫ですか?」と彼に声をかける。
そして私に向かって、「ご家族の方?」「どちらから?」と立て続けに質問されたが、私は言葉を発しようとするがなにも出てこない。 やはりよくのみこめないかわりに眼が潤んでくるのがわかる。 係りの人が見かねて救急車を呼だ。

しばらくすると救護隊の人が到着し、係りの人と話をする。いぶかしげにこちらを見ているが、なにがなんだかわからない。

救護隊の人が彼に駆け寄り、光の出る機械を彼の右手の甲に当てた後、こちらに向き直って「あなたは…」と言ったが、何も返せないでいると救護隊の人は「「ちょっと失礼します」といって先ほどの機械を僕の手の甲にかざしたあと、「ん?」と怪訝な表情を見せた。その後、「あ」っと言って機械を首筋に当てて「はー、なるほど」「CRNか、うんうん」。

無線に向かい「こちらSS-5、レトロパークで1-5-9発生、識別個体番号 S4341、経年147、ターミナルdh11に搬送」 「経年0.1369のS4341CRNを所有。指示を願う」と伝えたのち、ちらっとこちらを見た。

「はい」「了解です」
「彼については心配はいりません。我々が搬送します」 「ですからあなたは自分の車で家に帰ってください」 と救護隊の人は私を気遣うように言った。

「自分の…車…」

頭の中を整理しようと立ちすくんでいると、「CRN?!…」 「いや、私も初めてです…」 「こっちで呼んどきましょう…」と救護隊の人とゲートの人が話している言葉が断続的に入ってくる。

僕はユタニの言う事を信じる。ユタニはいつも正しいから。

そうこうしているうちに目の前に白い半透明の立方体がすーっと近づいてきた。

ドアが開いたところに救護隊の人が駆け寄り、さっきの機械を立方体の壁に当てると壁の色が薄いピンク色に変わった。

「どうぞ」 「予定では、、、本日19:15に到着です」 「後程こちらから連絡します」

立方体の中に入る時に首元に光が当たった後、ドアが閉まり、音もなく動き出した。 

内側の壁には目的地の地図が表示され、その隣に表示された予定到着時刻は、救護班の人の言った通り 19:15 Mar 5 2116 と表示されていた。
 
UGV 1957

☆☆☆

今回はちょっと毛色を変えてみました。
”自動運転”のニュースで想像した未来の1シーンです。

電車に乗って感じる地方と都心の違い

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さて、前回東京に行くと言った通り、週末に行ってきました。東京(正確には首都圏かな)を離れて20年以上経った今なので客観的に見られるからこそ感じた事がありました。

今回感じたことですが、これを電車の中での話にフォーカスして、地方と対比させながら書いておこうと思います。


● やっぱり便利、意外に快適

以前、「広島に来て電車に乗る人が列に並ばない事にびっくりした」という事を某巨大掲示板に書いたら、「乗り慣れてないからだろJK」とレスがあって二重でびっくりしました。電車ってそんなマイナーな交通機関なのかと。

自分は京浜東北線を良く使います。朝は閉口するくらいの混雑ですが、それをはずせば至って普通で、人の回転が速いので例えば浜松町から秋葉原あたりまでの間乗っていれば意外に座れます。

京浜東北線に対して高崎/宇都宮線とか同じ方面に複数系統あるのでそうなるのだと思いますが、地方はそんなのありません。短距離乗っても長く乗る人も相当数いるので座れる確率は実は低かったりしますから。


● 増えましたね

埼京線で隣に座った人が突如携帯で話し出して少々驚きました。電車の中で電話するってアリなのかと言うもそうなんですが、中国語だったことに驚いたのです。いや、別に中国の人がいたって不思議ではないのですが見た目で完全に日本の人だと思っていたので。

これは電車の中だけではなにのですが、都心は外国の人が多いです。広島も観光地なので外国の方は多いのですが、こちらの外国の方はアングロサクソン系の人が多数なので一発でわかります。

ですが都心の方の方はアジアの、特に中国の方が多く、しかも観光客でじゃなくて住み着いている人が多いんですね。見た目でわからない外国の人が多いのは地方との違いだと思います。


● 女は強く、そして男は疲弊している

一人で行動している女の人が多いなという印象です。またこれは以前にも感じた事ですが特に外回りをしている女の人は勇ましいです。何度か男女の会社員同士の会話を耳にする事がありますが、強いですね。おっさんと対等というか、おっさんとおっさんの会話にしか聞こえません。

一方、男の方はくたびれた人が目立ちます。おなかも出ています。疲れ切っています。擦り切れた感が強くて「どうぞそのまま寝てて久里浜の海でも見ながら癒されて来てください」といいたくなるような人がいっぱいです。

あと、老人が少ないなと思ったのですが、老人が老人然としてないことも少なく感じる一因です。皆さん格好が若いです。これも地方との大きな違いです。


● まったく関係ない感が強い

地方だとXXは知り合いの○○の知り合いだったとかけっこうありますが、都心だと絶対ないと言い切れるくらいの人の多さです。なので、感じたのは電車にのっていても他人を気にする必然性が低いという事です。

どちらかと言うと隣に座っている人が宇宙人でもべつに不思議じゃないくらいの他人感の強さなので、逆にこの人どんな背景を持った人なんかなと人間観察にするのは面白かったりします。

面白かったと言えば、電車の中でスマホや漫画を読んでいる人の割合が意外と低いのです。地方の方が自分の世界に閉じこもって、動線を塞いでいる輩が多いです。都心は人が大いから逆に気をつかわざるを得ないのでしょうか?

☆☆☆

先ほどの話で都心の電車の中って人間観察が面白いので私は寝たりスマホいじったりしません。自分にとってはちょっとしたエンターテーメントなので目や耳を塞ぐのはもったいないのです。

それで思い出しましたが、学生の時、山手線内回りを渋谷から品川方面に移動している時、午後の人が少ない時だったのですが、向かいに座ったおっさんが、いきなりカバンから尺八を取り出して吹き始めた時はどうしようかと思いました。

(都内の学校出身の)友人にそのことを話したら「いくらなんでも(東京には)そんな変なやつはいない」と信じてもらえなかったのですが、そつは授業中に窓の外でペリカンが飛んでくのを見たとか言ってたやつなので本当の話です。

☆☆☆

● 受け身って楽だわ

「ちょっと入れ替えちゃいました」的なノリで忽然とデパートが一個消えて、新しい巨大なガラスのビルが「どーん」と横たわっているのは都心ではよくあります。いつでもどこでもなんかしら新しい娯楽スポットやお店が開店してとにかくダイナミックですね。

また、テレビ東京、東京MXテレビ、テレビ埼玉or神奈川or千葉テレビとだいたい民放チャンネルが3つは多く、またそれらはキー局が使わなくなったマイナーなタレントを、キー局の画一化されたフォーマットから離れた進行を展開していて、テレビ見ててもけっこう楽しめます。

学生の時にもそう思ったのですが、首都圏は情報発信力がケタ違いというか、面白い事が街のどこからか常にこちらに向かって来ており、それをのほほーんと受け身の立場で消費していれば永続的に楽しく暮らせます。

地方ではそうはいきません。楽しい事など街を歩いても落ちてるわけありません。地方局の番組みていても新しい娯楽スポットができないので使い古しのネタしかなく、内輪で盛り上がっている感満載です。

なので、面白い事は自分から能動的に探しに行かないといけませんが、それとて母数が少ない分限りがあります。「都心は物価が高いし、住むには…」といいますが、それを補って余りあるメリットに地方の目からは映ります。

「ネット社会になって、娯楽を含め情報は端末さえあれば何でも手に入るし、通販で買えないものもなくなってきたし、物価も安いから地方最強じゃん」と思ってましたが、(やっぱり)そうでもないかもと思い始めたのが今回一番の感想です。

と、いうことで今週末もどっか行ってきます。

200回を超えていた

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今回は散文です。久々に写真もありません。

気が付いたらこのブログも200回を超えていたんですね。2年半といえば「ふーん」てな感じですが、「200回も記事を書いた」となるとよくまあ続いたもんだと我ながら感心します。「この広告は1ヶ月以上更新 が無いブログに表示されています」もまだ出されていませんし。

実を言うと、1年を超えたあたりからネタに困る場面に出くわすことが増えてきました。書くことが全く無い(ゼロ)というのではなく、「これって書くに値するするかな?」と書いてる途中で思うことがあるからです。ミジンコ並みでも向上心はあるので、過去に書いたものより今回書く内容の方が質が高くないとまずかろうと思うので、そうなるとハードルが上がって自分が満足するエントリーが「無」くなって来るんですね。

最初の内は自分の経験を切り売りすれば面白いネタに困ることは無いのですが、ネタの在庫って案外すぐになくなります。そして趣味でやってるのに自分で勝手に課した決まりに縛られて義務化してきます。楽しむためにやる趣味が仕事のように苦しむなんていかがなものかと思えてくるのです。

でも楽しけりゃ仕事が趣味に化けるわけではなく、仕事は仕事、趣味は趣味。苦しい趣味でもその中に楽しみを見つけるという趣味の形もあるはずです。そしてなぜかギリギリまで悩んで苦しんであぶり出したネタの方が、楽に書いたものより完成した時の方が「いい記事だったなあ」と思えるのです。

あ、いい記事(完全当社比)書いたなあと思うと出ますよ、脳内麻薬。特に窮地に追い込まれて書いた記事の方がケタ違いに脳内麻薬が多く出ます。そして、渾身の一撃だと思ってアップしたものは大して読まれず、すごく楽に書いた「中身無いかな?」と思えるものの方が良く読まれているのはブログを書く方の「あるある」です。

私は、瞬時に考えをまとめて上手く伝える事は苦手で、話をした後で「ああいえばよかった」と後悔する事が多々あります。なので時事ネタなど旬の話題について書くことはありません。ああいうのは頭の回転の速い人のなせる技でうらやましい限りなのですが、プロフィールのところで「賞味期限がない」としているのは実はそういう理由なのです。何回も時間をかけて書き直す前提の、何周も周回遅れのネタが前提なので鮮度はもはや関係ないのです。

始めた当時は、日常生活において不都合が無い、いわゆる「コンフォタブルゾーン」が持てるようになっていく一方で、パターン化された日常の中で自分の世界が狭まって来ているという危機感がありました。

ライフワークを決めて行こうと考え始めた時期でもあったので、その対象の世界が狭いままで良いのかという大きな疑問があったのです。なので、

・新しい事(いままでの自分ならこうするだろうなということの逆バージョン)をやってみる習慣作りをする事、
・ライフワークの中核となる自分の才能を見つけるために(他の人に見つけてもらうために)我を晒してみる事

を主な目的としてブログを始めたのでした。そして今振り返ってみると、

前者は自分の行動に少なからず影響を与えていて、少し世界を広げられるようになったと思っています。なにかを前にした際、これをブログに書くかもと考えるのと、そうでないのでは視点やその深さが違ってきます。情報を記録しておくためにプラスアルファの行動がでてきたり、書く為に調べると更に興味が沸き、探究心が沸いてくるという良いループが習慣化されてきつつあります。

後者については、トラフィックも低く未だに手応えはありません。ただし、新しい行動を起こす事と紐ついているのかもしれませんが、何を書くかを考える時に、自分が何に刺さるのか?自分はいったい何を面白いと思ったのか?を常に問うようになってきました。なので目的に近づく手段に成り得ている事には違いはないと思いますので、ここはもう少し様子を見る事にしています。

その他、「どこかに行くか」となった時、「微妙だね」ということはよくあります。行ったことあるし、面白い話聞かないしと。そんなとき、「ブログのネタになるかもしれないからいいか」という新しい判断価値項目が加わると重い腰が軽くなります。「どうせ…だろう」が、「行ってみたらなんか面白いかも」と変化してきているのですね。

と、いうことで今週末は東京です。「なんでもネットで手に入るのにをわざわざ行く必要があるのか?」という疑問は残るのですがですが、そういったわけでとりあえず行ってきます。なにか面白いものがあればここで紹介します。

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